成長 普通
衰え 遅め
初期値
限界値
総合評価 A
大卒ではあるが、即戦力というほどの完成度はない。数年は育成が必要ではあるが完成するとリリーフとして優秀な選手になれる。
とは言うものの、能力を見るとBが多い。ピンチだけがSでそれ以外は優秀ではあるが普通に収まっているように見える。というわけで下にキャリアハイの画像を貼ってみました
セーブ数こそ少ないものの圧倒的な防御率。ここまでの安定感を残せる選手は多くない。
リリーフとしては優秀ではあるのは間違いない。…のだが、リリーフ「しか」出来ないことと右投げということで安定しない年も普通にあるので過信しすぎないように。
そのせいで評価は下がるが、抑えとしては文句なしなことは揺るがないのでリリーフに不安がある状況でならぜひとも獲得したい。
小ネタ 史実紹介
1992年ドラフトで西武ライオンズから3位指名を受けて入団。当時は森祇晶が監督を務めていたが、彼が在任中の間は一軍の試合出場はなく、1995年にデビュー。96年から先発投手として活躍を始めた。1997年に二桁勝利を果たすなど先発としても一定の活躍を見せるが同年に右ひじの故障、翌年に手術するなどケガに泣かされる結果になってしまった。その後は先発として目立った成績を残すことはなかった。
転機となったのは2001年。シーズン開幕して早々にチームの抑えであった森慎二の不調により、安定感のあるリリーフを必要とした西武の監督東尾から説得されて、抑えに転向する。最終的に47試合に登板し28S、防2.83と一定の成果を上げた。
豊田を抑えにした東尾は前年限りで退任し、その後は伊原春樹が監督になった。そのまま抑えを任された豊田はこの2002年にキャリアハイの成績を上げる。防0.78、6勝1敗38Sと驚異的な成績を上げ西武のリーグ優勝に大きく貢献した。以前小林雅英の記事を紹介した際に「絶望度」という独自の指標を採用して抑えを評価したサイトがあったが、この年の豊田の成績は第1位に選ばれるほど圧倒的な抑えであった。その後は2003年に通算100Sを達成するなど活躍し2005年まで西武に所属していたが、2004年、2005年と二年連続でケガで離脱していた時期があり、以前ほど安定した投球ではなくなった。
2005年にFA宣言をして読売ジャイアンツに移籍。当時の巨人は中継ぎに大きな不安があったので大いに期待されたのだが、度々救援失敗を繰り返しケガも発生するなど状況が好転せずにシーズンを終えてしまう。その後も何試合か抑えをやったが、やはり救援失敗が続き中継ぎに配置転換。それ以降はセットアッパーとして一定の成果を出した。
2010年オフに広島東洋カープに移籍。こちらでもそこそこの成績を残し、カープ側からも契約する意思を見せられたが、2011年を最後に現役を引退した。その後は指導者、解説者として活動し2021年現在は西武の一軍投手コーチを務めている。
当時のNPBにおける絶対的な抑えなのだが、その割にはBの能力値が多いので意外と過小評価されている感はある。
関連項目
・東尾修…今作にOB、指導者として登場。彼からの説得によりクローザー豊田の活躍が始まったことを考えると、やはり投手を見る目はあったのだろう。名監督として扱われることはないが鑑識眼はあったと思われる。
・森慎二…選手として登場。彼の不調によって豊田が抑えになったが、森の復活以降は勝利の方程式として活躍し、2002年は優勝に貢献。2003年も両輪として西武に欠かせない存在になった。2006年からMLBに挑戦したが…
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