成長 普通
衰え 遅め
初期値
限界値
総合評価 A
大体文句なしで使えるようになるのがこのくらいの年齢。
当ブログをご覧いただいている諸プレイヤーならご存じだと思うが、確実性があり勝負強い打撃と安定感のある守備、現実と違いそこそこの機動力を持っているのでやはり強い。打率は3割中盤、20HR前後のHRにもかかわらず主軸に置けば100打点は軽く超える。
成長スピードはゆっくり目だが衰えも遅いので活躍期間は長いだろう。
小ネタ
- 千葉ロッテマリーンズが誇る2000本安打達成者でありフランチャイズプレイヤー。
- 高校時代は地元習志野高校で1年からレギュラー、学年が上がるにつれてエースとして活躍した。
- 1993年ドラフトで千葉ロッテから7位指名で入団。この年の最終指名者であった
- 同期に立川隆史、大塚明、諸積兼司、小野晋吾がおり意外と当たり年であった。なお1位
- 入団したは良いもののすぐに肩を壊してしまい打者転向。本人はかなり悩んだらしい
- ファームで打者として研鑽し、一軍デビューは1997年、実に4年もの月日を要した。
- 2年目の1998年から2011年まで14年間100試合出場を果たすようここから主力として活躍。毎年の様に.280前後の打率を残すようになる
- そして2001年に.341で首位打者を達成、盗塁0での首位打者という珍しい記録でもあった。
- この年から6年連続で打率3割達成
- 肝心の2003年、この年は福浦のキャリアハイと言える年であり(個人の見解です)、自身初の全試合出場と172安打、21HR、76打点、50二塁打と累積する数字面でのキャリアハイが多数ある年であり、特に50二塁打は史上二人目の50本以上の二塁打記録であり卓越した打者であったことの証明と言える。
- この翌年も42二塁打を放ち、2002年から2004年まで3年連続40二塁打は史上唯一である
- 2005年、例のアレが起きた年はケガの影響でシーズン終了まで低調だったらしいが、毎日のように打線が変わるバレンタイン監督の日替わりマリンガン打線で唯一3番に固定されるなど絶大な信頼をおかれていた。終わってみれば3割達成、70打点とチームに多大な貢献をした。プレーオフでもホークスとの5戦では決勝点につながるヒットによる出塁、日本シリーズでは満塁本塁打を放つなど大活躍だった。
おい、阪神ファン記憶を消すな
- その後はケガに見舞われることが多かったものの長期にわたってチームに在籍、2019年まで現役を続け引退試合に2000本安打を達成した。
- なおその日の試合結果
- 2000本安打ちょうどでやめたのは史上初、達成者最小の盗塁数と意外と記録にも残る選手として、異彩を放っている幕張の安打製造機であった。
- 今現在は千葉ロッテの指導者であり後進の育成に励んでいる。
- ここまで紹介にちょいちょい入っているが盗塁に関しては消極的な部分がクローズアップされているほどなのだが、今作ではなぜかそこそこの走塁能力を持っているのでやはり千葉ロッテの調査は適当なんだろうなと悲しくなってはいけない