成長 超晩成
衰え 早め
初期値
限界値
総合評価 S
初期値からもう凄まじい能力をしており、いきなり4番レギュラーを張れるほどの能力をしている。さらにここから打撃と守備はぐんぐん成長していき、打撃能力は全選手最強クラスのものになる。守備能力自体は普通なのだが、一塁、二塁、三塁と守れるポジションが多い。コンバートさせて試合をこなせばどのポジションの守備適正も高くなるので、実は守備面でもかなり便利な選手。走力は低いのでやはり一塁、三塁が安定するのだが、二塁をやらせるのが個人的にはお勧め。二塁手には長打力が乏しい選手が多いのと、一塁と三塁は超優秀な選手が多いからである。
スイッチヒッター転向、高額コーチの採用によって全打撃能力がSに到達することも可能。ただなかなかシーズン記録を更新することは難しいのでそこは留意しておこう。それでも.380 50HR 200打点くらいはこなせるが…
他球団に取られるとFA以外獲得手段がなくなるので是非とも逆指名で獲得したい。
小ネタ
- 皆さんご存じ名選手かつ名将という珍しい野球人。NPB唯一の三冠王3回、更新されてしまったが当時の右打者最高打率、最高HR数。2年連続50HRなど、とち狂った成績を記録した。
- 1978年のドラフト、例の江川事件のおかげで色々もめた年だったがロッテから3位指名を受けて入団。
- 入団以前の異色すぎる経歴はあまりにも有名。高校時代は体育会系の風習に反抗し幽霊部員。大学時代も激しい上下の人間関係についていけずに中退。プロボウラーになろうとしたらスピード違反でテストに間に合わず断念。そこから社会人野球の東芝府中で活動と紆余曲折しすぎて円が書けるレベルの経歴を送った。
- ただでさえ高齢の入団だったが、活躍が見えたのは2年目。60試合にも出場していないが15HRと将来の片鱗を見せた。3年目には完全にレギュラー定着。.326で首位打者、33HRを記録し主軸に成長。
- 4年目には最初の三冠王獲得。.325 32HR 99打点という成績を残したが、大した成績じゃないとなぜかケチをつけられ、奮起した落合は1985年に2度目の三冠王を獲得。.367 52HR 146打点と文句なしの成績で黙らせる。更に翌年も2年連続3度目の三冠王を獲得したことで黙らせるどころか、口封じをしてしまった。2年連続.360台、50HR以上という成績を残し、不人気のパリーグながら認知度が高まっていった。
- 1987年シーズンから中日ドラゴンズに移籍。この移籍に際して行われた1対4の大型トレードはあまりにも有名で、「政治家」星野仙一がはじめてその手腕を見せた人事戦略だったように思える。トレード相手になったのはこの選手も含まれる
- 中日ドラゴンズ移籍後も持ち前の打力で戦力になり2度のHR王を獲得するなど、存在感を示した。
- 1993年に導入された新ルール、FA制度を行使して巨人に移籍。所属年数3年でタイトル獲得はならなかったが40代の年齢で3割2回で、衰えこそあるものの年齢不相応の大活躍だった。
- 1996年オフに巨人に清原和博のFA移籍してくるのに合わせて自由契約。日本ハムとその後に契約したがさすがにこの頃には衰えが顕著であり、以前のような活躍はできずに1998年に引退した。
- 26歳入団であるにもかかわらず2000本安打、500HRという異次元の成績を記録している選手。かつての大打者の多くが高卒入団で新規球団の流入の激しさや、経済的状況で戦力差のあった時代だったからこそ記録を残せた選手が多い。しかしながら落合はそう言った戦力差も比較的是正された現代野球でこれだけの成績を残せたというのが、選手落合がどういう存在だったかが窺い知れるものである。
- 2004年から中日の監督に就任し、2007年に中日の53年ぶりの日本一を演出し黄金時代を形成したことで、名将と言われる。落合が中日の監督をしていた当初はセリーグ三国時代と形容されることもあり、巨人と阪神と中日とで三つ巴の様相を呈していた。
- 監督退任後はGMとして中日で活動したが、上位で獲得した選手が全く活躍しなかったこと、監督時代に主力だった選手を酷使したこと、これらの要因のせいで世代交代が上手くいかずに現在中日は暗黒時代に足先を突っ込んでいる状況である。中日の黄金時代を作りつつ、低迷させてしまったという功罪入り乱れた評をよく受けている。
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