成長 普通
衰え 普通
初期値
圧倒的なまでの長打力とチャンスにおける勝負強さが光るスラッガー候補。しかし守備と走塁は平均もしくはそれ以下。しかも肝心の打撃も選球眼がDというのが恐ろしい。少なくとも選球眼に関しては、育成期間があったほうが良いと思う。
限界値
右巧打は恐らく限界突破。長打とチャンスは相変わらずのハイスペック。嬉しいのは平均程度に育った守備走塁、ようやく人並みになった選球眼Cというところ。ここまでくれば文句なしでスラッガーと言える。
総合評価 B
1年目の成績と成長ピークの成績を比べるとこうなる。ピークを迎える前にも選球眼は成長しているので3年目くらいから.270 40HR程度の成績を残した時もある。選球眼が低すぎる代わりに積極性に関する内部データが優遇されているのだろう、HRだけはリーグトップクラスのものを残せるし巧打力も上がれば安打数も稼げる。
助っ人外国人を評価する際に注目しているのが、即戦力であるか、実働期間の長さ、契約金の高さがある。
即戦力という点では打率はアレだが長打力に関しては選球眼の低さがあっても発揮できるので、即戦力という事は出来る。レギュラー級ではないかもしれないが。
実働期間に関しては34歳までは30HRを記録できるだけの能力を維持できるので8年間くらい。
契約金に関しては実在OBなので架空選手に比べれば若干高いが、活躍度を比べれば相応程度。
総合的に見て優秀な選手といっていいと思う。パリーグ球団であれば更に活躍が期待できるだろう。
小ネタ 史実紹介
1988年の5月にドジャースと友好球団であった中日にひっそりと移籍。当時の中日は郭源治とゲーリーで一軍外国人枠2人が埋まってしまっており、二軍で燻ぶっていたがその実力は高く評価されていた。転機は6月末のトレード。当時パリーグは西武ライオンズが首位を独走し、近鉄がそれを追う立場であった。その近鉄の主砲クリス・デービスが「アレ」で逮捕され退団。急遽主砲の代役を獲得せざるを得なくなった近鉄とどうせ起用の仕様がないブライアントを持て余した中日で金銭トレードが実施された。1988年途中からスタメン入りしたブライアントは74試合出場でありながら34HRというとんでもない成績で近鉄の主力に。怒涛の追い上げを見せた近鉄に貢献したが1988年と言えば「10.19」。ついに近鉄は優勝することはなかった。ちなみに中日は優勝している。
それ以降も近鉄の主力として活躍し 1989年はシーズン終盤に怒涛の活躍を見せ近鉄の優勝に貢献しMVPに。それ以降もHRに関する記録と三振に関する記録を作り、1995年に近鉄を自由契約。1996年に現役引退することをエンゼルス傘下のAA球団所属時に決断した。NPB史上唯一のシーズン200以上の三振(204)、通算1186三振を出場試合数1000以下で達成するなど記録だけ見れば面白外人だが、8年間で259HR、3度のHR王、40HR以上を2シーズン、MVP獲得、近鉄という球団で優勝に貢献という他の選手にはない特徴で当時を知らない若いファンからの知名度も高い選手である。