やきゅつく2003 選手名鑑 小林雅英 投手

選手

成長 普通

衰え 普通

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初期値

限界値

総合評価 A

即戦力社会人の右投リリーバー。初期値はそこそこ高めではあるが即エースというわけでもないので、できれば留学させて万全を期したい。

他球団所属のデータであるが、かなり早い段階で戦力になれる点も嬉しい。選手としての「脂の乗り」は普通/普通なので悪くない。即戦力という特徴にもあってる。

いざ限界値の能力を見てみると、ストレート、変化球の質は共に高く精神の高さもクローザーとしてはありがたい。

上の画像はシーズン成績のキャリアハイだが、右投手にしてはかなり優秀な方である。

通算成績でもかなりのセーブ数を稼ぐことが出来るので、見栄えもいいのもあるが、長期間の活躍ができる。

総合的にかなり優秀な投手であるので、発掘出来れば逆指名したい。

追記 2022/09/18

小ネタ 史実紹介

1998年にロッテを逆指名し入団。入団して間もない頃は1位指名でもあったので先発を任されていたが、あまりいい成績を残せなかったので2年目途中から中継ぎに転向。これが上手くハマり転向して2年目の2001年にはNPB新記録の6日間連続セーブの記録を上げて月間MVPに選ばれた。

小林雅英のキャリアハイは2002年。この年は17試合連続セーブの新記録、33試合連続セーブポイントを記録するなど抜群の安定感によりロッテの守護神「幕張の防波堤」と呼ばれることになる。ちなみにこの年は37S、防0.83という化け物クラスの成績を残している。今作の小林は序盤だと大活躍するのも当然、発売前にこんな成績残していれば当たり前である。この年の成績は全盛期岩瀬や、日本一になった年の佐々木主浩を凌ぐほどの絶望感と言えばどれだけ素晴らしいかが分かるだろう。

こちらのブログさんを参考に上の記述をしました

https://baseball-datajumble.hatenablog.com/entry/2019/12/07/100000 )

その後は2005年にロッテが日本一になった年に、YFKと(ついでに)謳われた強力なリリーフ陣として活躍し最優秀救援投手に。チームの黄金期のメンバーとして活躍したものの、当時の監督ボビー・バレンタインと関係が悪かったのでFA権を行使しMLBに。成績が伴わなかったので早い段階で日本に帰った後は巨人、オリックスに所属した。この頃は年齢的にも衰えの年齢であり以前ほどの成績も残せなかったのでMLB以降はほぼ存在しないレベルになっている。

その後は指導者として各球団に在籍、ロッテでも投手コーチを務めたが…

現在は解説者として活動したり、アマチュアで指導者をしている。井口が監督やっている限りロッテ復帰はないだろう…

劇場型という見ていておっかないほどの安定感の無さを持つ投手の事を形容する時に使われるが、小林雅英はその代表例であり、毎回ランナーを得点圏に出しては抑えるという投球でファンと首脳陣の胃を攻撃し続けた。当の本人は「点取られなければええんや」というスタイルだったという。結構な頻度で点も取られていたので「防波堤決壊」と揶揄されてもいたが

関連項目

  • 藤田宗一…今作に顔グラありで登場。YFKのFとして活躍したロッテの左腕リリーフ。彼の証言によると2005年プレーオフ2NDステージ第3戦で登板した小林雅英は「馬鹿みたいに緊張していた」という。事実その後ロッテはその試合勝てば優勝の試合を逆転サヨナラを喰らい、楽勝ムードをひっくり返されてその年のソフトバンクとのプレーオフが事実上の日本シリーズと言われるほどの熱戦を演出した。
  • 薮田安彦…今作にモブ顔で登場。YFKのYとして活躍したロッテのリリーフ。あまり目立った存在ではないが、なぜかMLBに挑戦してあまり活躍せずにさっさと帰ってきたので、小林雅英は彼の顰に倣った結果をそのまま歩んでしまったことになる。小林と違いその後ロッテに帰ってきたのでロッテのOBとして今でも解説者をするときはロッテ戦が多い。
  • 里崎智也…皆さんご存じyoutuber。小林雅英と同じ年に逆指名でロッテに入団し、2004年ごろからロッテの歴代最強捕手として活躍したことを考えると1998年ドラフトは、彼ら二人だけで超大当たりのドラフトともいえる。
  • 川井貴志…今作に登場する投手。小林雅英と同期で2002年に好成績を残したので顔ありで登場するが、以降あまり活躍できずに楽天に移籍。現役は小林や里崎智也らに比べて現役は長期であったものの成績は伴わなかった。…なのだが今作では左腕なのでSPの記録を作るほどの無双をすることがある。

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