成長 普通
衰え 普通
初期値
限界値
総合評価 C
かなり長い期間、実力が十分でない期間でもスタメンで起用し続けると成長ピークの年にCリードがSに到達する。
普通に控え捕手としてだと頑張ってCリードと肩がBに行けばいい方だと思われる。走塁は期待できないとして打撃面は一応最低限のものは持っているのでスタメン起用自体は問題ない。
ただそこまで持っていくのに耐えられるかどうか…
CリードがSに到達するのはBランク選手でもかなり数が限られているし、全体で見ても多くないのでその点はかなり貴重な選手であることは間違いないのだが…わざわざ雇うこともないだろう
小ネタ
- かの有名な野村沙知代と野村沙知代の亭主こと野村克也の息子。
- 大学は明治大学、在学中に4回優勝を経験、首位打者と打点王の二冠、ベストナインに選ばれるなど大学野球界では功績を残していた。しかしながらプロ志望でかつ大学野球でも成果を出したカツノリに対してプロ球団のスカウトはカツノリを高く評価しておらず、普通であれば指名されるわけもなかった。しかし父親である野村克也の「強い要望」によりヤクルトスワローズにドラフト3位で入団。ちなみにプロ入り時に大学を卒業できていなかった。
- プロ入りしたカツノリは二軍で下積みの日々を送るが、ヤクルトの正捕手は古田敦也、控えには野口寿浩と層が厚く(今作だと二人ともSランク捕手)、一軍で出番はなかった。2年目になって出番をつかんだが出場する試合は大体消化試合当然の大差の付いた試合が多かったという。
- 当時は父親が監督であったためにまだ一軍でも試合出場があったが98年オフに若松勉に監督が変わると出場どころか一軍昇格もなかった。しかし2000年に当時父親が監督を務めていた阪神タイガースにトレード移籍。これ自体には野村の贔屓より阪神自体が獲得を希望したという話がウィキペディアに載ってた()。しかし出場試合が極端に増えることなく阪神は星野仙一政権へと移行
- 2004年に金銭トレードで巨人に移籍。もちろん一軍の戦力になることはなく同年オフに戦力外通告。
- 2005年から新設球団東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍。2006年にまたもや野村克也が監督を務めることになったので恐らくその前段階というか呼び水的な扱いであったのだろう。
- 2006年は二番手捕手として出場機会が増えたものの、加齢と父親譲りの弱肩&痛みによって守備面で貢献することもできず、父親と打って変わっての貧打で攻撃面でも貢献できずで結局戦力外通告を受ける。引退試合でも6被盗塁で当時のワースト記録に並び無事野球史に名前を刻んだ。
- 引退後は楽天、ヤクルト、巨人で指導者として活躍。二軍での指導経験がほとんどなので成績を見て能力を判断することは難しいのだが、引退時には後輩が涙を流して惜しまれつつの引退であったというエピソードがあったり、各球団で指導者経験があり現在も楽天で育成捕手コーチをやっていたりと無能ではないと言い切っていいだろう。是非とも指導者として功績を残してほしいものである。
- 今作開始時は阪神に在籍。年俸は高くはないのだが高齢かつ年俸の高い矢野が即戦力、年俸の低い浅井が将来性を期待できると採用の余地があるのに対し、カツノリはそういった利点が一切ないので切り捨てるのが吉である。
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